●紙芝居「中央線はなぜまっすぐなの」 製作:ささご会

No.1
No.2

●ナレーター
皆さん地図を見ていると、面白いことが沢山みつかりますね。
まず線路というのは、たいてい適当にカーブして作られていますね。
電車に乗っていて、カーブにあわてて吊り輪を握りしめることが皆さんよくあるでしょう。
そこで、東京の西部の地図を見てみましょう。
私達の住む中野…この中野のどまん中を一直線に走る中央線は、なぜまっすぐなのか…
それを今日は、お話ししましょう。
No.3

●かける
「ぼくいままでなんにも考えずに乗っていたけど、わけがあるの。」

●父
「お父さんも中央線は、まっすぐ走っているとしか思っていなかったが、それにはいろいろと理由があったのだよ。」

●ナレーター
話は百年以上前の、明治二十二年八月に、新宿~八王子間に甲武鉄道が完成しました。
それが中央線の始まりなのです。

●みか
「えー鉄道って…汽車が走っていたの。」

●父
「いやー、そうではなく、はじめは馬が引っ張る馬車による街道交通だったんだよ。」

●かける
「 な ぁーんだ!馬が引っ張ったの。」

●父
「そうなんだ!そこで雨が降るとドロンコ道となり、馬車のわだちの跡に馬のフンが散乱したのだよ。」

●みか
「大変な乗り物だったのね。」

●父
「まったくそのとおり」
No.4

●父       
「そこで…人口の集中している甲州街道沿いに、甲武鉄道の路線を引くことを計画したのだよ。」

●父      
「それでね…府中、調布などの宿場町に、大きな旅館があって、そこの人々が鉄道の人たちに、『お客をとられる』の『仕事が減る』の『ワラジが売れなくなる』などの苦情がでて、鉄道反対の声があがったんだ。」

●ナレーター:
当時は多摩壮氏と言われている人たちが住んでいるこの土地は、農民運動が盛んなところで、ムシロ旗など立てての反対運動が行われたのです。鉄道が貴重な用水や水田をズタズタにしてしまうと思ったのでしょう。
No.5

●ナレーター:
甲州街道沿いが反対されたので、そこで次に、栄えている青梅街道沿いにという案が立てられたのです。ところが、またまた汽車が通ると火の粉で藁屋根の家が火事になるとさわぎだしたのです。

●みか      
「ほんとに汽車の影響で火事になったの。」

●父       
「そうなんだよ、蒸気機関車が走りだしたばかりの頃火の粉が舞いあがって火事があったそうだよ。」

●かける    
「ほかにも、なにか原因があったの。」

●父        
「いろいろとあったのだよ。よそ者が入ってきて悪い病気がはやったり物が盗まれるとか又、汽車の振動で家が傾くとか、悪いことばかり言い出したのだよ。」

●ナレーター:
原因が沢山あったので、これまた青梅街道沿いも反対、反対。
    
No.6

●みか     
「鉄道を通すことは、大変な苦労があるのね。」

●父       
「そうなのだよ、住民の反対が無ければ、計画通りに工事ができるのだよ。」

●ナレーター:
いまでこそ、鉄道が通れば通勤・通学が便利になるし、住民が増え、町が栄えると考えて、我が町に…そして私の町にという願いがあるのですが、鉄道開通計画をした時は中野の一部の人々は迷惑がって反対をしたので、予定線路がたびたび変更されたのです。   
No.7

●みか     
「なかなか決まらなかったのね。」

●父      
「そうなのだよ、あれこれ言い出す人たちを前に、鉄道を計画した人は、とうとう地図を広げて東中野から立川まで一直線に定規で線を引いて、これできまり…。」

●みか     
「そんな簡単に決まったの。」

●父       
「ソォー、最終的には反対はなかったらしいよ。」

●ナレーター:
決定した地域は、わずかの畑があるほかは、すべて原生林で、そのうえ地主の人たちが非常に協力的なので、反対がおこらなかったのです。
No.8

●ナレーター:
特に協力した地主は、現在の武蔵境駅…周辺の地主、秋本氏と三井氏が広い土地を無償で提供したのです。

●みか    
「ずいぶん親切な地主さんがいたのね。」

●父     
「そうなんだ、提供によって計画どおり工事が進んだらしいよ。」

●ナレーター:
それによって中野から立川まで二十七キロの鉄道を一直線に引くことが出来たのです。「線路は続くよどこまでも…」というアメリカのフォークソングがありますが どこまで続く線路…。これも鉄道の魅力のひとつですね。
No.9

●ナレーター:
いよいよ工事が始まりました。いままで原生林だった、ここ、武蔵野の山々の木々は切られ、台地はくずされていきました。さあ大変です、この武蔵野の地には、ここをねぐらとしていた動物達がいたのです。

●みか    
「どんな動物が住んでいたの。」

●父     
「狐・狸・猪・兎などの小さな動物がたくさん住んでいたのだよ。」

●かける  
「その動物たちはどこにいったの」

●父     
「そうだね!多分、高尾や奥多摩の山々にいったんじゃないかな。」

●ナレーター:
そうです、動物達は住み慣れた森や林を、振り返り振り返り移動していったのです。
No.10

●ナレーター:
新宿~立川間の工事は、わずか十ヶ月で完成しました。それはなぜかと言うと、小金井堤に咲く桜の時期に間に合わせるために頑張って作ったのです。その桜見物に沢山の人々が訪れるからです。

●みか    
「今もその桜の木はあるの。」

●父     
「それがね、昭和に入ってから戦争などで手入れが出来ず、また車の排気ガスで、痛みもひどくなってしまったが、現在は小金井公園に若木を移植して大切にされていて、春のお花見の名所として、沢山の人たちが桜見物をしているのだよ。」 
No.11

●かける   
「鉄道が開通すると、どんなに便利になったの。」

●父      
「開通した時は、新宿~八王子間の運転は、一日五往復…で、三時間間隔で時速三十キロ。所要時間は一時間十三分かかったとか。現在は、快速で四十分。時間的には早くなったのだよ。」

●ナレーター:
運賃は下等、中等、上等の三段階に分かれていて、新宿~中野間はそれぞれ三銭、六銭、九銭でした。その後明治二十二年創業から十七年後に、国によって買収され、国の鉄道になったのです。
No.12

●みか     
「駅名はどうしてつけたの。」

●父      
「中野駅の場合は、当時の中野村の下宿、中宿、上宿の真ん中を通ったので中野駅とつけたのだよ。」

●みか     
「阿佐ヶ谷は」

●父      
「あさい谷があったので」

●みか     
「荻窪は」

●父      
「荻が一面に生えていたので」

●みか     
「なお、終点 立川は。」

●父      
「開通当時は、埼玉県立川村と間違えられるほど人々に知られないさみしい村だったのだよ。」
No.13

●ナレーター:
鉄道開通によって、さみしかった街道交通の日陰になっていた武蔵野台地の寒村部中野村は、急激に発展して夜明けを迎えるのでした。

終わり



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